『〈自己完結社会〉の成立』(下巻)
【補論2】学術的論点のための五つの考察
ここではいくつかの学説的な論点に焦点を絞りながら、本書で十分に論じきれなかった内容について言及しておくことにしたい。具体的には、「自由」、「疎外論」、「個と全体」、「自己実現」、「ポストモダン論」という五つのテーマである。
これらはいずれも学術的に重要なテーマであると同時に、本書の枠組みからは批判的に捉え直されているものである。ここでの説明は必ずしも本格的なものとは言えないが、学説的な論点に関心のある読者にとっては、本書の立ち位置を理解するための有用な手がかりとなるだろう。
(1)「自由」の問題について
まず、“自由”の問題について見ていこう。確かに本書では、現代において実現された自由について、それを敢えて〈ユーザー〉としての「自由」と呼ぶなど、否定的に捉えている側面がある。
しかし本書は、例えば社会病理の根源をいわゆる「行き過ぎた自由」に求めているわけではないし(1)、近代的理念としての自由を批判するからといって、「民主的な政治機構」や「言論の自由」といったものを含む「政治的自由」までをも否定しているつもりもない。
そもそも自由(liberty, freedom)の概念は、近代以降の西洋哲学においては、その根幹に位置づくほど重要な概念であったと言える。その起源は、古代ギリシャにける“非奴隷状態”を意味するエレウテリア(eleutheria)にまで遡ることができるのだが(2)、近代になると、自由は何より専制政治を批判し、それとは異なる政治権力の形を構想する「政治的自由」という文脈において論じられるようになっていた。
例えばJ・ロック(J. Locke)は、自由の本質を生命/財産などに対する「所有権」(property)に見いだし、そうした自由を保障するための信託機関としての政府の役割を提唱した(3)。
そしてJ・J・ルソー(J. J. Rousseau)は、自由の本質を意志の問題と関連づけ、ひとりひとりの「特殊意志」(volonté particulière)と皆の意志である「一般意志」(volonté générale)の調和をはかり、そうした意志に基づく法の支配を提唱したことでよく知られているだろう(4)。
両者の主張に共通していたのは、「政治的自由」を実現するためには、人々は不当な権力や支配から解放されると同時に、そうした状態を維持するための然るべき何ものかを引き受けなければならない――責任ある主体として政府を樹立し、法を遵守するといった――という認識である(5)。
そして世界史的には、ここから【第四章】で見た、国民主権、法的共同体、領域国家という特徴を備えた“国民国家”の理念が形作られていくのであった(6)。「民主的な政治機構」や「言論の自由」といった論点は、あくまでこうした「政治的自由」を社会的、制度的に確立していく問題であると言えるだろう。
しかし本書が問題にしているのは、こうした近代的な自由の概念が、ある特有の“人間観”を前提としており――そのため本書では、それを「自由の人間学」とも呼んできた――その人間観が、時代を追うごとに拡張されてきた経緯があるという点である。
本書では【第十章】において、その人間観を支える二つの論点を次のように説明してきたはずである(7)。第一は「時空間的自立性」、すなわちそこで想定されている人間が、自らを取り巻く他者存在や意味体系に先立つ形で、ひとつの個的実体、主体として存在しうるという想定、第二は「約束された本来性」、すなわちこの世界には未だ現実には現れていないものの、未来において実現することが約束された「本来の人間」なるものが存在するという想定である。
こうした想定は、「政治的自由」を論じている限りにおいては、さほど大きな問題にはならなかった。しかしそれが「政治的自由」という文脈からは離れ、自らの存在を縛るものからの解放を求める「存在論的自由」へと拡張されたとき、深刻な矛盾が引き起こされることになったのである。
確かに、近代的な自由の概念をめぐっては、これまでも多くの問題提起がなされてきた。
例えばI・バーリン(I. Berlin)は、近代的自由の概念には根源的に異なる二つの文脈が含まれており、その第一はロックからA・スミス(A.
Smith)、J・S・ミル(J. S. Mill)などへと継承された、自由とは守るべき何ものかが外力から干渉されないことであるとする、 “解放”という意味での「消極的自由」(negative freedom)の文脈、第二はルソーからI・カント(I. Kant)、G・W・F・ヘーゲル(G.
W. F. Hegel)、K・マルクス(K. Marx)などへと継承された、自由のためには、人々は然るべき何ものかにならねばならないとする、志向性を含んだ「積極的自由」(positive freedom)の文脈であると指摘した(8)。
そして「積極的自由」が何ものかになることを強く志向するがゆえに、かえって「消極的自由」を破壊し、全体主義へと行き着く危険性があること、それゆえわれわれは、あくまで“解放”を意味する「消極的自由」から出発しなくてはならないと結論したのであった。
しかし、本書の立場はやや異なる。というのも前述のように、「消極的自由」であろうと「積極的自由」でろうと、それが「存在論的自由」として希求されるが否や、そこには深刻な矛盾が出現することになると理解しているからである。
まず「消極的自由」について考えてみよう。例えばそれが、警察力を行使した弾圧や政府機関による検閲といったように、直接的な暴力からの解放を論じているうちには、矛盾はさほど現れない(9)。問題は、それが自らの存在を縛るものからの解放、例えば他者や世間がもたらすさまざまな抑圧から「かけがえのない個人」を解放するといった、存在論的な次元にまで拡張されるときである。
こうした意味での「消極的自由」は、必ず矛盾に直面する。なぜなら【第十章】において、〈有限の生〉の五つの原則という形で整理してきたように、われわれがどれだけ「存在論的自由」を求めたところで、人間存在が自らを規定する“逃れられないもの”から完全に解放されることなど不可能だからである――それを本当に実現したいというのであれば、われわれは脳さえ捨てて完全に機械に置き換えられなければならないだろう――(10)。
実際、われわれが歴史的に体験してきた自由の実現は、厳密に言えば、「存在論的な解放」とはやや事情が異なるものであった。例えばわれわれが地域の隣人たちとの相互扶助から解放されるためには、「市場経済」や「官僚機構」が必要であった。それと同じように、現実に獲得された「自由」の多くは、〈社会的装置〉への依存を引き替えに得られたものだったからである。
逆に言えば、われわれが目撃している「存在論的自由」は、科学技術や〈社会的装置〉によって人為的に創出/維持されているものに過ぎない。本書がそれを、〈ユーザー〉としての「自由」と呼ぶのはこのためである。それでも科学技術や〈社会的装置〉が、われわれの〈生〉にある種の“解放”をもたらしていることは事実であり、それがわれわれには、あたかも「本来の人間」が実現していくように、あるいは「意のままになる生」が可能であるかのように見えるのである。
しかしどれほど〈ユーザー〉としての「自由」が実現しようとも、人間的現実は、結局〈有限の生〉=「意のままにならない生」の諸原則によって支配されている。そのためわれわれは自らの思う「本来の人間」と、眼前の人間的現実との間で引き裂かれ、ついにはそれを実現できない自分自身を責めるという事態に陥るのであった。
では、何ものかになることを求める「積極的自由」の場合はどうだろう。「政治的自由」が求められた時代、「積極的自由」の内実は、人々が新たな形で政治権力を生みだし、それを適切に運営していく責任ある主体になる、ということを意味していた。
しかし前述のバーリンが指摘したように、ルソーが示した“高級な意志”のあり方は、その後カントによって、他者や権威を含む外界の影響を受けない「意志の自律」(Autonomie)をめぐる問題となり(11)、やがては【第八章】で見た「自由な個性と共同性の止揚」という問題へと展開されていくことになる(12)。
つまりまさしく「政治的自由」からは離れ、「存在論的自由」として拡張されていくのである。
こうした意味での「積極的自由」に関する第一の問題は、それが歯止めを失った「本来の人間」を求めて、絶え間なく「現実を否定する理想」を生みだしてしまうことにある。
例えば〈有限の生〉の原則に照らしてみれば、他者や権威を含む一切の外界の影響を受けない意志など存在しないということが分かるだろう。しかし「積極的自由」は、構想された理念を将来に実現されるべき「本来の人間」=「あるべき人間」と見なすために、その理念がいかに人間的現実と乖離していようと、その理念の具現化を絶え間なく求めてしまうのである。
とりわけ厄介なのは、【第八章】で詳しく見たように、自発性と自由選択のもとでの〈共同〉が可能であることを示そうとして、しばしば用いられてきた魔術的なレトリックの存在である(13)。
その巧妙な言い回しによれば、人はいつの日か身勝手で利己的な個人としてではなく、近代が実現した自由な個性を捨てることなく、それでも互いに連帯している状態、あるいは皆のためであることが自身のためのものとしても感受できる状態、あたかも他者の喜びが自身の喜びとして、また他者の苦痛が自己の苦痛としても感受できる状態へと到達することができるはずであり、それによって「私の自由」と「皆の自由」がまさしく止揚されることになる。
本書では、人間的な〈生〉において「作法や知恵」としての〈役割〉や〈信頼〉や〈許し〉が、ときにそうした境地と似た状態をもたらすことはあっても、それをすべての人々に、また常時求めるというのは、結局負担なき〈関係性〉や負担なき〈共同〉を求めることと同じこと、換言すれば「博愛主義」の強要でしかないと述べてきた。
これは「現実を否定する理想」の類型であって、それを「本来の人間」と見なす限り、われわれは人間的現実によって、絶えず裏切られることになるのである。
また「積極的自由」の第二の問題は、それが想定する理念を具現化させようとして、われわれがその前提となる「消極的自由」を絶えず求めてしまうことにある。
例えばわれわれは、いまなお日本社会は「個の埋没」によって特徴づけられる、あるいは集団主義が根強いために、個人の解放と成熟が必要である、といった主張を耳にする。これは典型的な〈自立した個人〉の思想であるが、実はこうした主張そのものについては、まだ焼け野原の記憶が新しかった1950年代の頃とまったく変わっていないと言える。
その理由は、【第二章】で見てきたように、〈自立した個人〉の求める人間的理想が「消極的自由」の実現をその前提条件としており(14)、「存在論的自由」が常に不完全なものにとどまる以上、そのシナリオは現実否定の「無間地獄」に陥ることになるからである。
科学技術や〈社会的装置〉を用いて、どれだけ人間存在を何ものかから解放して見せたとしても、われわれは依然として自らを拘束している抑圧にばかり目を向けてしまう。しかし別の見方をするなら、われわれは〈社会的装置〉の〈ユーザー〉という形で、すでに相当程度の〈自立した個人〉を達成しているとも言えるのであって、むしろ〈ユーザー〉として自立しているからこそ、われわれは自らを取り巻く抑圧の残滓にかえって耐えられなくなっている側面があるのであった。
したがって、本書の立場をまとめると次のようになる。本書は「政治的自由」の制度的確立については全面的に支持するものの、それを存在論へと拡張した「存在論的自由」については、それが〈無限の生〉の「世界観=人間観」に根ざす限り、断固として反対する。
「政治的自由」は、たとえその根底に「存在論的自由」という虚構の「本来の人間」を持ちださなくとも導きだすことは可能である。それは、現代世代が「集団的〈生存〉」を達成し、より良き〈生〉を実現するための方法論として理解されれば、むしろわれわれが〈有限の生〉とともに生きていくためのひとつの道として再定義されうるものだからである。
(2)「疎外論」の問題について
次に取りあげたいのは、「疎外論」である。一般的に“疎外”(Entfremdung)とは、人間が生みだしたものでありながら、それが人間自身に対立したものとして現前することを指している(15)。
学術的には、疎外を意識の運動として捉えたヘーゲルの疎外論、宗教の本質を人間の自己疎外と捉えたL・A・フォイエルバッハ(L. A. Feuerbach)の疎外論などがあるが、何より重要なのは、それらを労働の文脈において読み替えたマルクスによる、「疎外された労働」(Entfremdete
Arbeit)をめぐる議論である(16)。
本書が「疎外論」と言う場合、もっぱらこのマルクスの疎外論のことを指していると考えてもらいたい。【第九章】でも触れたように、「疎外論」は60年代から70年代を中心として、「人間疎外」という言葉とともに、近代社会の病理を論じるための枠組みという形で幅広く用いられてきた(17)。
疎外概念には、何らかの外的な力によって人間本来のあり方が歪められるという含みがあり、それが産業化や大衆社会化の進んだ日本社会において、人間性やモラルの低下などをめぐる問題意識と結びつけて理解されてきたからである(18)。
また、関連するものとして「物象化(Versachlichung)論」があるが、これもマルクスに由来する一種の「疎外論」である(19)。「物象化論」の特徴は、とりわけ“商品”というものの分析を通じて、資本制社会における「人間と人間の関係性」が、あたかも「モノとモノの関係性」であるかのように現前する、という点を強調することにある。
ここから「物象化論」は、しばしば自由を獲得した近代社会の人々が、なぜ身勝手で利己的な個人として現前するのかを説明するひとつの論拠となってきた。そして【第二章】でも言及したように、ここで人々が真の自由の実現、ないしは共同性の回復を果たすためには、資本制社会のもたらす商品関係から人々が解放されなければならない、といった説明がなされてきたのであった(20)。
ここで論じておきたいのは、本書の枠組みが、広い意味において、こうした「疎外論」の一類型であると言えるのかという問題である。確かに本書の議論には、いくつかの点で「疎外論」との理論的な類似点がある。
例えば本書では、〈関係性の病理〉と〈生の混乱〉を現代社会における代表的な「病理」と捉え、その背景に、人間自身が産みだした〈社会的装置〉の存在があると論じてきた。また【第五章】で見てきた「〈生活世界〉の空洞化」や「〈生〉の不可視化」のように、本書では、かつては可視化されていた「〈生〉の三契機」が、まさしく〈社会的装置〉の影響によって矮小化、不可視化されてきた、ということを問題にしているからである(21)。
このように「疎外論」の本質を、「何らかの外的な力によって人間本来のあり方が歪められる」という問題設定として理解するなら、本書の議論もまた、ある種の「疎外論」であるとは言えないのか、ということである。
しかし筆者は、本論があくまで「疎外論」とは一線を画すものであると考えている。というのも本書では、「疎外論」において前提される「あるべき人間」、すなわち前述の「約束された本来性」に由来する「本来の人間」という概念を受け入れないからである。
例えば本書は【第二部】において、人間の本性に関する詳しい分析を行ってきたが、それはあるべき「本来の人間」を描きだすためではなく、まずは生物存在としての人間の特性に目を向けることによって、人間の存在論的基盤がいかなる条件や制約によって成立するものなのかを明らかにするためであった。
われわれは【第四章】において、700万年の人類史を俯瞰してきたが、そこでは自然生態系と「人為的生態系」をめぐる〈環境〉の「二重構造」自体は不変であるものの、いかにその存在様式が質的に変容してきたのかということについて見てきたはずである。本書で言う「病理」とは、その絶え間ない「人為的生態系」の膨張がもたらす現実が、ある面においてはわれわれの生物学的に想定された範疇をも突出しいく事態のことを指している。
しかし人間存在は、そのはじまりから自らの存在様式を変容させてきたのであって、そのこと自体はきわめて人間的なことでもあるのであった。したがってそれは、現代世代が対処すべき問題ではあっても、そこに「本来の人間」などというものを想定することはできない。
一連の事態を受けて、われわれが〈有限の生〉に基礎づけられた社会を目指すことも、あるいはそれを人体改造によって克服していくことも、いずれもひとつの“答え”の出し方なのである。同様に、人間の歴史は常に一方通行であり、われわれは過去へと戻ることなど決してできない。われわれが過去を振り返るのは、特定の時代を称揚したり、そこに「真の人間の生活」なるものを見いだしたりするためではなく、あくまで過去に生きた人々の〈生〉に触れ、それによって自らの現実と向き合うこと、未来に託すべき何ものかを見つめるための参照点を得るためだったのである。
また「疎外論」は、あるべき「本来の人間」を実現しようとして、必然的に社会変革論へと行き着くことになるだろう。「何らかの外的な力によって人間本来のあり方が歪められている」という主張は、容易に反転して、その外力を取り除くことによって人間本来のあり方を取り戻さなければならないという主張となる。そしてそこから、「本来の人間」が実現する“社会モデル”の提示と、そうした社会へと至るための“変革の道筋”が要請されることになるからである。
しかし本書は、基本的にはそうしたアプローチを採用しない。というのも、こうした社会変革論のアプローチこそ、往々にして【第十章】で論じてきた〈無限の生〉の「世界観=人間観」と深く結びついてきた側面があるからである(22)。
例えば本書の結論は、一言で述べれば〈有限の生〉とともに生きるということであったが、本書はそれを敢えて「あるべき社会モデル」や「あるべき変革」という形のもとでは論じていない。それはそうした問題設定をしてしまった途端に、本書もまた西洋近代哲学と同じ鉄を踏むことになること、すなわち“理念”から出発して現実をどこまでも否定していく、あの「無間地獄」に陥ると考えているからである。
ただしこのように述べてしまうと、あたかも本書が、これまで社会の変革を求めて奮闘してきた人々の努力や熱意までをも一様に否定しているように見えるかもしれない。しかし、事実はその逆なのである。
【第十章】では、繰り返し「現実を否定する理想」と「現実に寄り添う理想」の違いついて述べてきたはずである(23)。つまり、あるべき理念を掲げて世界を改変しようとする試みを批判したからといって、それは、より良き〈生〉のために目の前の現実と格闘することまでをも否定したことにはならないからである。
人間存在が自らの生きる時代や現実と格闘するとき、人々が勇気づけられるのは、まさしく過去に生きた人々の生き方、あり方に触れるときである。本書はそれを否定しているのではなく、むしろそれを肯定すること、その魂の引き継ぎ方について論じているのである。
また本書が「より良き〈生〉」というものについて何度となく言及しながら、それが具体的に何を意味するのかについて述べてこなかったのも、基本的には同じ理由が背景にある。〈有限の生〉を生きる人間存在にとって、直面する社会的現実は皆それぞれ違うだろう。そこで何を「より良き〈生〉」と見なすのか、あるいは何に対して「より良き〈生〉」を見いだすのか、それはひとりひとりの人間に本質的に託されている。
本書が明らかにしたかったのは、何が「より良き〈生〉」なのかということではなく、人間存在が「意のままにならない生」の現実と格闘し、そこで「より良き〈生〉」を希求していくことの“意味”についてなのである。
なおこのテーマと関連して、本書では“資本主義”(capitalism)という概念を、実は意図的に用いないようにしてきた。それはこの資本主義という概念が、あまりに過去のイデオロギー的な手垢にまみれていることに起因する。
われわれはしばしばあまりに漠然と、近代化された社会のことを資本主義と呼んでいるが、【第八章】において触れたように、それはもともとマルクスおよびF・エンゲルス(F. Engels)が提唱した「史的唯物論」(Historischer Materialismus)に基づき、人類史を生産様式の展開過程と捉えた際の、生産様式としての「資本制社会」、ないしは「資本主義的生産様式」のことを指す概念である(24)。
そのため不用意に“資本主義”の概念を用いることは、われわれが人類史を「生産様式」や「階級闘争」、「所有形態」の文脈のなかで理解すること、また上部構造となる法や国家や社会的意識が、下部構造である経済的機構によって決定されるという想定、あるいは資本の自己増殖と生産の無政府状態こそが一連の社会的混乱の背景にはある、といった無数の前提を背負い込むことを意味している(25)。
本書では、近代的な経済様式を論じる際には、それを敢えて一貫して「市場経済」と呼び、市場原理に基づく調整機能を備えた経済システムという形で、その意味合いを限定するように努めてきた。ここには、そうした混乱を避けるという目的もあったのである(26)。
(3)「個と全体」の問題について
次に、「個と全体」の問題について考えていきたいが、ここでの問題の主眼とは、端的には〈自立した個人〉の思想をあらゆる角度から批判していく本書の立場が、はたして全体主義と言えるのかということである。
例えば代表的な辞書を紐解いてみれば、“全体主義”とは「個人は全体(国家、民族、階級など)の構成部分として初めて存在意義があると考え、国家権力が個人の私生活にまで干渉したり統制を加えたりする体制、あるいはそれを是認する思想」のことを指すとされている(27)。
とはいえ人文科学において、全体主義という言葉が持つ響きは、実際にはより広義かつ漠然としたものであるように思われる。すなわち、たとえいかなる理由であっても、個人を超える論理や価値を優先することは――それは究極的には個人の自発性や自由選択、自己決定を妨げるあらゆる外力に適用されることになるのであるが――個人が持つ生まれながらの権利や尊厳を毀損し、やがては20世紀のファシズムや独裁政治を再来させる危険性を孕む、といったイメージである。
その意味では、確かに本書は「個人を超える論理や価値」を多面的に論じてきた側面がある。例えば本書は【第四章】において、生物学的な「ヒト」として誕生したわれわれが、「人為的生態系」としての〈社会〉を媒介することではじめて「人間」になれると述べたてきたし(28)、【第五章】において、「人間的〈生〉」の根源的な目的は、太古の時代より「集団的〈生存〉」の実現であったと述べてきた(29)。
また【第七章】と【第八章】においては、円滑な〈関係性〉や〈共同〉を実現するためには、われわれはときに望まぬ〈間柄〉を引き受けなければならないことや、ときに納得を欠いた状態でも何かを引き受けなければならないことがあると述べてきた(30)。さらに【第十章】においては、そうした一連の問題を〈有限の生〉をめぐる諸原則として整理したうえで、「存在論的な抑圧」からの解放を謳う〈無限の生〉の「世界観=人間観」について、徹底的に批判してきたのであった(31)。
つまりこうした本書の人間理解は、「個人を超える論理や価値」を肯定するという意味において、ある種の危険な全体主義とはいえないのか、ということである。
この問題を考えるにあたって、われわれが考えるべき第一のことは、「政治的な意味での全体主義」と、「個を超える何ものかを肯定すること」とを区別するということだろう。例えば政府が、適材適所を理由に諸個人の存在価値を一方的に決定することは、「政治的な意味での全体主義」に関わる問題である。これに対して、われわれが他者や世間を通じて、望まない標準や〈間柄〉による抑圧を受けるという問題は、「個を超える何ものかの肯定」に関わる議論である。
われわれは両者を、本来同じ次元で考えるべきではない。というのも、「個を超える何ものかを肯定すること」が例外なく全体主義だと言うのであれば、逆に全体主義ではない世界とはいかなるものになるのだろうか。それが真に実現するためには、本書で見てきた〈自己完結社会〉をまさしく完遂させる以外にはありえない、ということになるからである。前述した「政治的自由」と「存在論的自由」の区別と同様に、本書は前者については反対するが、後者については慎重な議論を行っているのである。
そのうえで、われわれが考えるべき第二のことは、「個を超える価値」の問題と、「個を超える原理」の問題とを区別しておくことだろう。例えば〈存在の連なり〉を想起し、自らの置かれた状況から「担い手としての生」の意味を見いだすことは、「個を超える価値」に関わる問題である。これに対して、生物個体として生まれた「ヒト」が「人為的生態系」としての〈社会〉の媒介によって「人間」になるということは、「個を超える原理」に関わる問題であると言える。
ここで重要なことは、前者が人間存在によって見いだされた意味に関わる問題であるのに対して、後者は人間存在にもともと備わっている事実に関わる問題であるということである。
例えば人間の存在様式の確立に際して、「集団的〈生存〉」の達成という目的がきわめて重要な役割を果たしてきたことは、おそらく事実である。そしてわれわれが生受に与えられた諸々の条件から逃れられないということ――筆者はそれを〈有限の生〉の第二原則として論じた――もまた、おそらく事実に関わる問題であると言える。
したがって、こうした「個を超える原理」を全体主義だと規定することは、そのまま人間存在それ自体を否定することを意味するだろう。逆に「個を超える価値」の問題とは、そうした「個を超える原理」を踏まえたうえで、そこにいかなる意味を見いだすのかという次元の問題である。したがってこの場合、その解釈自体はそれぞれの当事者に託されていると言えるのである。
われわれがこうした混乱を避けるためには、そもそも「個か全体か」という二元論的な枠組みに乗らない人間理解の枠組みを構築していくことが求められる。そしてこのことは、本書において繰り返し述べてきたように、日本文化の特徴を「個の埋没」と規定し、〈自立した個人〉の人間的理想を希求してきたわが国の人文科学だからこそ、なおさら重要なことだと言えるだろう(32)。
個なき全体としての人間も、全体なき個としての人間も、いずれも人間存在を正しく理解したことにはならない。本書が希求してきたのは、まさしくそうした人間理解の枠組みだったのである。
(4)「自己実現」の問題について
次に見ていくのは「自己実現」の問題であるが、“自己実現”とは、一般的な辞書によれば「自分の中にひそむ可能性を自分で見つけ、十分に発揮していくこと。またそれへの欲求」であるとされている(33)。
【第九章】で見てきたように、一定の豊かさを実現した「第三期」の日本社会においては、人々は豊かさを謳歌していくだけでなく、同時にモノや競争に溢れた生活に対する虚構感、あるいは世紀末的な不安といったものを抱えるようになっていた(34)。また「革命」というかつての理想が色褪せた後、人々が代わりに見いだしたのは、「かけがえなのない個人」を縛る「存在論的抑圧」からの解放や、「自由な個性の全面的な展開」、あるいはマイノリティの権利擁護といった問題であった。自己実現という言葉が語られはじめたのは、まさしくそうした時代だったのである。
そして「第四期」においては、それが「自分探し」という形で人口に膾炙していった(35)。人は誰でも「かけがえなのない個人」として生まれるのであり、「自由な個性の全面的な展開」を実現することこそが人生の果実である。そう教えられてきた人々にとって、自己を実現していくことは、まさしく生きることの意味そのものとして理解された。
「ありのままの自分」を見つめ、型にはまった生き方ではない、自分にしかできないことを発見すること、そして何より自分らしくいられること、それが何よりの理想とされた。本書が「自己実現」という場合、念頭に置いてきたのは、こうした「第四期」を中心に語られてきた人間的理想としての自己実現のことである。
そして本書では、こうした意味での「自己実現」をもっぱら否定的な文脈において論じてきた。というのも本書では、こうした「自己実現」こそが、人間的現実を否定し、自意識ばかりを膨張させることによって、かえって人々を理想と現実の狭間で引き裂いてきた側面があったと理解しているからである。
例えばわれわれは【第五章】において、「自己実現」とは、「人間的〈生〉」を構成する〈現実存在〉の実現という契機――集団の一員としての自己を形成するとともに、構成員との間で情報を共有し、信頼を構築し、集団としての意思決定や役割分担を行っていくこと――が、「〈生〉の不可視化」や「〈生活世界〉の空洞化」を通じて、「こうでなければならない私」の実現という形に変質したものであるということについて論じてきた(36)。
そして【第七章】においては、「自己実現」の前提となる〈自己存在〉とは、本来「意のままにならない他者」との「意味のある〈関係性〉」を介してはじめて成立するものであること、その意味においては、しばしば語られる「純粋な私」も「本当の私」も「ありのままの私」もすべて虚構に過ぎないこと、そして「自己実現」の理想は、自意識を具現化させようとして、結局「意のままになる他者」を希求してしまうがゆえに、「意味のある私」は存在することができず、そこには“救い”がないということについて見てきたのであった(37)。
とはいえここで確認しておきたいのは、学術的に見た場合、自己実現概念には、先の「自分探し」や「ありのままの私」といった理解にはとどまらない、数多くの豊かな洞察が含まれていたということである。
最初に見ておきたいのは、A・マズロー(A. Maslow)による欲求段階説についてである。マズローによれば、人間は普遍的欲求として「生理的欲求」(physiological
needs)、「安全への欲求」(safety needs)、「所属と愛の欲求」(belongingness and love)、「承認の欲求」(esteem)、「自己実現の欲求」(self-actualization)を持ち、相対的により低次の欲求が満たされることによって、より高次の欲求に至るとされている(38)。つまりここでは、自己実現は衣食住や社会的な居場所、人間的な尊厳が得られた後、人間が求める最高次の欲求として位置づけられている。
注意が必要となるのは、ここでマズローが具体的な自己実現像として、例えば世俗的な関心に頓着せず、学問/芸術に没頭するような気質の人間を想定している側面があることである(39)。そうだとすれば、「自分探し」や「ありのままの私」は、マズロー的な理解においては、自己実現の本分ではないということになるかもしれない(40)。
しかし前述のように、「自分探し」や「ありのままの私」が、カネやモノや競争にまみれた時代への反省という文脈のなかで語られていたことからすれば、マズロー的な自己実現像もまた、本書のいう「自己実現」と十分重っているとも言えるだろう。
本書の立場からすれば、マズロー的な自己実現は、【第五章】で論じた「暮らしとしての生活」から離れた、「精神としての生活」をより純化させたものとして位置づけられる(41)。それどころか、それが依然として〈無限の生〉の理想と結びついていると言えるのは、マズローの理想とする学問/芸術への没頭が、すべての人間にとって最高次であるとは言えないこと、また誰かがそうした境地にいられるとすれば、その人を支え、代わりに「暮らしとしての生活」を担いってくれる別の何ものか――それが奴隷か、家族か、パトロンか、社会か、ロボットかは不明だが――が不可欠となる、ということだろう。
次に取り上げておきたいのは、マズローに加え、K・ウィルバー(K. Wilber)の影響を受けたトランスパーソナル心理学や、教育分野におけるホリスティックアプローチなどに見られる、自己超越を主眼とした自己実現(self-realization)の概念である(42)。
かなり大雑把な説明となるが、ここでの要点は、まず心の病を含む現代社会のさまざまな問題の背後には、要素還元主義的で原子論的な世界観や、個体的自我を中心とした人間観があること、そしてそうした問題を克服するためには、われわれは個体的自我の枠組みを脱皮し、他者や共同体、人類、生態系、地球、宇宙といったより大きな全体性との結びつきや一体感を感覚的に身につける必要がある、と考えることである(43)。
つまり世界に対する向き合い方として、それを無意味でばらばらな“モノ”の寄せ集めとして理解するのではなく、あるいは人間に対する向き合い方として、それを本来的に身勝手で孤立した存在として理解するのでもない、世界があらゆる存在の連鎖によって形作られ、われわれ自身もまた、そうした大いなる全体とも言うべき「宇宙」や「いのち」のごく一部分に過ぎないことに気づくこと、そしてそのすべてがひとつとなった全一性のなかから、再び「私」という自己存在の意味を受けとめていくことが重要であると考えるのである(44)。
実はこうした自己超越のアプローチは、本書の問題意識とかなりの点で重なる部分がある。というのも本書では、「〈ユーザー〉としての生」をめぐる自明の「世界観=人間観」を批判したうえで、〈存在の連なり〉や「〈関係性〉の場」、「担い手としての生」といった概念に象徴されるように、個体的自我には還元できない、時空間的な広がりのなかで立ち現れてくる人間存在の姿を明らかにしようと努めてきた側面があるからである。
とはいえ本書の立場としては、こうしたアプローチに満足できない部分もある(45)。第一に、そこではしばしば自己超越の水準をもとに何ものかが序列化され、そのうえであまりに精神世界やスピリチュアリティが重視されていく傾向がある。そのため本書が重視するような、例えば生物学的本性や人間の身体、〈生存〉の実現、「暮らしとしての生活」といったものが、相対的に低次元で非本質的なものとして位置づけられる傾向があるのである。
また第二に、自己超越のアプローチは、大いなる存在の連鎖との全一性を重視するあまり、〈存在の連なり〉を生きることの“残酷さ”の部分については、往々にして無関心であることが多い。しかし〈存在の連なり〉を生きるということは、単純に素晴らしいことや、美しいことであるとは限らない。
例えばそれは、【第九章】で見てきたように、時代によって生かされ、時代において死んでいく人間の宿命を受け入れるということでもある(46)。そして【第十章】で見てきたように、〈有限の生〉の現実がもたらす数多くの抑圧や負担を引き受けつつ、自己の生きた痕跡が永劫その〈連なり〉のなかに刻まれてしまう残酷さをも背負わなければならないということをも意味しているのである(47)。
さらに第三に、自己超越のアプローチは、機械論的、要素還元論的な世界観を批判するあまり、どこか自己超越の感覚さえ獲得されれば、人間社会のあらゆる害悪が克服できるかのような、ある種の予定調和――これは、前述した「積極的自由」や「自由な個性と共同性の止揚」といった論点にも通底するものである――が無意識に前提されているように見える。
しかし【第八章】で見てきたように、人間存在には「情念」、「悪意」、「不誠実」といった避けられない〈悪〉の問題がつきまとう(48)。そしてだからこそわれわれは、より良き〈生〉を生きようとして、それぞれの時代の現実と格闘しなければならず、また不断の努力を通じて、より良き〈生〉のための社会的基盤を創出し、それを次世代へと継承していかなければならないのである。
こうした整理を行うことによって、われわれは「自分探し」や「ありのままの私」をめぐる通俗的な「自己実現」だけでなく、マズロー的な自己実現も、あるいは自己超越としての自己実現も含めて、そこでは〈有限の生〉とともに生きることの意味についての洞察が不十分であったと総括することができるだろう(49)。
(5)「ポストモダン論」について
最後に、「ポストモダン論」について見ていこう。まず、ここで本書が「ポストモダン論」と呼んでいるものは、しばしばポストモダン(postmodern)、ポスト構造主義(poststructuralism)、ポストモダニズム(postmodernism)といった形で言及される思想群について、やや包括的に捉えたもののことを指している(50)。
より実態に即した言い方をすれば、わが国では80年代以降を中心として、「現代思想」という呼称で親しまれてきた一連のフランス現代哲学、およびそこから多大な影響を受けながら展開されてきた言説群のことを指している(51)。
一連の言説群の複雑さを考慮すれば、ここでの整理はもちろん恣意的で不十分なものとなるだろう(52)。ただし先の時代、マルクス主義や実存主義が衰退しはじめた言説空間にあって、そこに緩やかな形ではあるが共通する問題意識が存在したこと、また本書の関心から言えば、一連の思想群が〈自立した個人〉の思想を批判しつつ、そこで想定されてきた人間理解を改めようとしていた側面があったことは強調しておく必要がある。
そのためここでは、本書の関心に沿う形で代表的な三つの論点を抽出し、それに対する本書の立ち位置について説明しておくことにしたい。
第一の論点となるのは、「ポストモダン論」が20世紀後半の時代状況を診断する際、しばしばそこに「大きな物語」の解体という主題を見いだしてきたことである。その代表は、まさしく西洋近代哲学が依拠してきた理性に基づく啓蒙、普遍的な正義や価値に基づく進歩といった諸概念の体系を批判し、「ポストモダン」とは、そうした「大きな物語」(grand
récit)が不信の目に曝される時代であると定義したJ=F・リオタール(J.-F. Lyotard)であるだろう(53)。
この定義に即せば、「ポストモダン」とは、ある種の特性を備えた時代状況を指すことになる。そしてその始まりは、人間理性が不信に曝された第一次大戦期にまで遡り、その後第二次大戦や世界的な高度成長を経て、マルクス主義の失墜をもって、ついに完全な移行を果たしたと考えることができる(54)。
次に第二の論点となるのは、こうした「大きな物語」への批判として、とりわけそこで前提されてきた人間的理想、あるいは人間理解の枠組みそのものの失効を訴えるというものである。その代表は、知や言説空間に内在する権力構造に着目し、とりわけ近代社会においては、われわれの生そのものが不可視化された権力構造――一望監視の監獄である「パノプティコン」(panoptique)に比喩される――によって、主体となるべく「規律(discipline)化」されていることを指摘したM・フーコー(M. Foucault)である(55)。
例えば人間性を礼賛するヒューマニズムであっても、そこには何ものかを“狂人”と規定し、排除していく権力構造が潜んでいる。いわばそれと同じように、われわれは近代社会の担い手として、「あるべき人間(主体)」に進んでなるべく、工場、学校、病院といったあらゆる生の局面において「規律化」されている。ここから見えてくるのは、自由や人権といった装いの背後で、いわば巨大な「パノプティコン」として聳え立つ管理社会の姿であるだろう。
次に第三の論点となるのは、「大きな物語」が失効した「ポストモダン」状況においては、人々は価値相対主義のなかに投げだされるとともに、“資本の論理”に絡め取られ、存在としても不安定化するというものである。その代表的な言説のひとつは、現代的な消費の形がモノの持つ本来の使用価値ではなく、他者との差異を表す記号の消費に過ぎないと指摘し、われわれがそうした絶え間ない差異化の狂騒に陥っていると論じたJ・ボードリヤール(J.
Baudrillard)のものだろう(56)。
実際、今日のような高度情報化社会においては、記号の戯れは電波を介してどこまでもわれわれを包囲している。そこではまさしくコピーとオリジナル、実物と虚構、物質と情報といった事物の境界がますます不明瞭となっていると言えるだろう(57)。
ただし本書の関心においてより重要なのは、近代社会を「脱コード化」(décodage)された社会、すなわちあらゆる意味や価値を超越的に体系づける枠組みが欠落した社会と規定しつつ、そこでは「公理系」(axiomatique)と呼ばれるメカニズムによって、あらゆる欲望が調整され、一方向に向かって誘導されるとしたG・ドゥルーズ(G. Deleuze)/F・ガタリ(F. Guattari)の議論であるだろう(58)。
この視点を踏まえれば、「大きな物語」の解体は、西洋近代的な理想や体系のみならず、人々が歴史的に共有してきた価値や規範、いわゆる「伝統的な価値規範」の解体としても捉え直されることになる。すなわち「大きな物語」の解体=「脱コード化」された社会=価値相対主義の時代という理解が成立する。しかしそこでは「脱コード化」され、フラットな関係性が拡大するからこそ際立つ“緩やかなつながり”、すなわち「リゾーム」(rhizome)という形での抵抗や連帯の可能性にも光があたることになるだろう(59)。
以上、三点に絞って見てきたが、ここから見えてくるのは、「ポストモダン論」と本書の間にあるさまざまな共通点である。まず前述のように、本書が批判の対象としている〈自立した個人〉の思想は、まさしくリオタールが「大きな物語」と呼んできたものに相当する(60)。つまり「ポストモダン論」は、本書と同様そうした人間的理想の終焉を経て、人間社会をいかなる形で理解するのかということを問題にしてきた側面があるのである。
それだけではない。例えばフーコーの捉えた「パノプティコン」は、本書で言う〈社会的装置〉によって実現される「〈ユーザー〉としての生」を問題にしているとも言えるし、「脱コード化」され、「リゾーム」状につながる人々の姿は、まさしく本書が〈ユーザー〉としての「自由」と「平等」を実現した人々として描いてきたものに重なる部分があるからである。
とはいえ本書の立場は、やはり「ポストモダン論」とは根源的な違いがあるように思える。第一に、本書は西洋近代的な「大きな物語」の終焉には同意するものの、「大きな物語」それ自体の意義については決して否定しているつもりはない。
【序論】でも述べたように、人間存在には根源的に世界を了解し、他者を了解する意味と言葉が必要であり、〈思想〉や〈哲学〉の存在意義とは、そうした意味や言葉の創造にあるというのが本書の理解である(61)。つまり、終焉したのはあくまで特定の言説を唯一絶対的な、あるいは普遍的な真理と見なす「絶対的普遍主義」の方法論であって、不透明な時代を生きるわれわれには、依然としてある種の「大きな物語」が必要であると、本書は考えているからである。
したがって本書の立場は、例えば独立した個がそれぞれの「小さな物語」を携えて生きていくというイメージとも異なっている。本書の言う「強度を備えた〈思想〉」とは、〈思想〉を紡ぐものたちが、自らに与えられたさまざまな〈有限の生〉の限界を引き受けつつも、人間存在の本質について肉薄し、それぞれの形でそれを言語化したもののことを指している。それは唯一絶対的なものとしては収斂しないが、同じ時代を共有する人々、あるいは後の時代に同じように現実と格闘する人々に対して、何らかの意味を喚起することができるだけの強度、その意味においての「普遍性」は備えている(62)。
それを「小さな物語」と呼ぶには弱すぎるし、誰もがそうした〈思想〉を生みだせるわけでもない。「ポストモダン論」は、これまで言説、規範、制度といったものの“解体”ばかりを志向してきたために、こうした“創造”という営為についての人間学的な洞察が決定的に欠けてきたとも言えるだろう。われわれに必要なのは、リオタール的な意味とは異なる「大きな物語」への理解であり、〈思想〉を創造していくことそれ自体への根源的な意味なのである。
また第二点目として、確かに本書は〈自己完結社会〉における不可視化された権力構造の存在を認めている。だからといって、この問題をフーコー的な意味での「権力論」という形では決して捉えていない。
少し具体的に述べてみよう。例えば確かにわれわれは、この「自由」な社会において、〈ユーザー〉として生きること、あるいは「不介入の倫理」を含むあらゆる「〈ユーザー〉の倫理」を「強制」されていると言えるかもしれない。そしてそれは、確かに〈社会的装置〉と〈ユーザー〉の間にある、あるいは〈ユーザー〉と〈ユーザー〉の間にある権力構造であるとも言えるだろう。
しかし筆者は、こうした問題を「権力論」として論じることに根源的な限界を感じている。というのも「権力論」は、あらゆる抑圧をイデオロギーとして暴露していく帰結として、結局は際限のない権力からの解放、そして際限のない「存在論的自由」を希求してしまうことになるからである。
おそらく「権力論」の枠組みだけでは、われわれは【第六章】で論じた、今日の〈社会的装置〉と「〈生〉の舞台装置」との間にある歴史的な連続性を位置づけることができない(63)。あるいはわれわれが【第七章】や【第八章】において、一切の抑圧を伴わない〈関係性〉や〈共同〉など存在しないと述べてきたように、人間を「規律化」する権力の存在それ自体は、およそ人間が「人為的生態系」としての〈社会〉を創出して以来、一度として消えたことなどないという事実を位置づけることができないだろう(64)。
人間が「集団的〈生存〉」の実現を必要としている限り、われわれはある種の権力的なものを必要としている。例えば【第十章】でも触れたように、「政治的権力」は単なる抑圧の装置ではなく、われわれがより良き〈生〉を実現するために、むしろ不断の努力によって維持形成しなければならないものでもあった
(65)。
要するに「権力論」は、あらゆる「存在論的抑圧」からの解放を望むがゆえに、必然的に行き詰まるのである(66)。そして興味深いことに、〈自立した個人〉の思想に対する批判から出発したはずの「ポストモダン論」は、「存在論的自由」を希求するがゆえに、こうして逆に〈自立した個人〉へと“先祖返り”していくことになる。
その目線の先にあるのは、結局一切の権力が不在の社会、一切の抑圧が存在しない〈関係性〉といった、恐るべき現実否定の「ユートピア」に他ならない。その限りにおいて「ポストモダン論」は、まさしく西洋近代哲学の正統な後継者でさえあったのである。
第三に、本書は「ポストモダン論」の現実分析についてはある程度同意するが、それでも〈ユーザー〉として生きる人々の存在論的な揺らぎの問題を、単に「接続」や「切断」の次元で論じていくことには限界を感じている。
【第九章】で見てきたように、かつての「革命」が色褪せた時代に、「ポストモダン論」の影響を受けた知識人たちは、確かに「リゾーム」としての「接続」の可能性に活路を見いだしていた側面があった(67)。「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」という「逃走」の戦略をはじめ(68)、このことは「第四期」に語られた「緩やかなつながり」や「開かれたコミュニティ」にも通底している部分があったと思われる(69)。
また「第五期」になると、「接続」の希望は薄れ、むしろ「接続」への過剰を意識した適切な「切断」こそが重要であるとの主張も見られるようになるのであった(70)。
とはいえ「接続」だろうと「切断」だろうと、そうした議論だけでは、われわれの生き方、あり方の問題として、「価値相対主義のなかで〈関係性〉を器用にやりくりして生きていけ」という結論以上のものは見えてこない。そして誰もがそのような“器用さ”を備えた人間であるとするなら、そもそも人々が〈共同〉の破綻や存在の揺らぎに対していちいち苦しむということもないのである。
そもそも本書は「絶対的普遍主義」を退けるとはいえ、価値相対主義――「脱コード化」された世界――を肯定しているわけではまったくない。
例えば真に価値相対主義的な世界においては、人々は自らの生きる意味を“ゼロ”から創出できなければならない。〈関係性〉から切り離された「この私」を基点として、何かをゼロから選好し、自発性と自己決定に基づいて、自分自身を自ら定義していかなければならないだろう――実はこれこそが〈自立した個人〉の完成された形であるとも言えるのだが、そうした“強い主体”として生きられるのは、おそらく一握りの超人だけである――。
しかし【第十章】で述べてきたように、〈自己存在〉も、生きる意味も、本来“虚無”のなかから組み立てられていくものではなかった(71)。人は誰しも、「意のままにならない生」の現実と格闘することによってはじめて、そこに意味を見いだすことができる。それは前世代から受け継がれた「意味体系=世界像」かもしれないし、生受において与えられた条件や、世間や他者から与えられる標準、〈間柄〉といったものかもしれない。
そうしたものを背負いながら、「意味のある〈関係性〉」によって結ばれた何ものかとの〈役割〉、〈信頼〉、〈許し〉に支えられ、そしてときには〈存在の連なり〉の彼方にいた(いる)だろう何ものかの生き方、あり方に鼓舞されながら、それでも目の前に横たわる〈生〉の現実と向き合うことによって、意味というものを獲得していくのである。
西洋近代哲学を乗り越えようとした「ポストモダン論」が、一周回って「近代(モダン)」に帰着してしまうのは、確かに皮肉な事態だろう。しかしそれは、おそらく「ポストモダン論」が、真の意味での近代批判になり損ねていたことの証左でもある。
とりわけそこでは〈無限の生〉の問題に目を向け、「人間的〈生〉」を形作る“逃れられないもの”、すなわち〈有限の生〉を分析していく視点が欠けていた。ここでの人間は、結局のところ記号の世界に浮遊する“身体なき人間”でしかなく、老いることも、死ぬことも、世代が交代していくこともない。そしてだからこそ、その結論はやみくもに〈無限の生〉を周回し続けることになるのである。
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(1)「行き過ぎた自由」――あるいは「行き過ぎた個人主義」とも言う――とは、「20世紀」的なイデオロギーで言う「保守」派にしばしば見られた言説で、典型的には、利己的な個人の拡大やモラルの低下を含む多くの社会病理が、西洋文化由来の価値理念である自由(個人主義)の過度な拡大によって引き起こされたものだと理解するもののことを指している。確かに本書は、自由概念の拡張について問題視している側面があるが、それはあくまで「政治的自由」から「存在論的自由」への次元への拡張の問題である。「行き過ぎた自由」を批判する人々は、旧時代の価値規範が解体し、社会統合が低下していく様子を単に憂いているだけであって、おそらく本書の主眼である「世界観=人間観」の問題にも、あるいは「〈ユーザー〉としての生」の実現によって、かえってわれわれが〈社会的装置〉を軸に高度に秩序立てられた社会へ移行しているという逆説についても無頓着であるだろう。
(2)『哲学・思想辞典』(1998)項目「自由」を参照。古代ギリシャは奴隷制を前提とした社会であり、人々は債務や捕虜になるなどして容易に奴隷身分に転落することがあった。ここでの自由とは奴隷身分ではない自由人、具体的には奴隷を含む財産を所有し、家長としてポリスの政治に参加する資格を有する人々ことを意味していた。これに対して近代的な自由の概念は、人間存在が本来的に有するものとしての自由であり、この点において両者は決定的に異なっていると言える。
(3)ロック(1968)を参照。
(4)ルソー(2005b)を参照。
(5)「人間が社会を取り結ぶ理由は、その所有の維持にある。また彼らが立法府を選任し、授権する目的は、こうして作られた法や規則が、社会のすべての成員の所有を保護し、垣根をし、その社会のどの一部、どの一員といえども、これを支配しようとすれば制約し、その権力に限界を置くということにある」(ロック 1968:221、Locke 1988:412)。「人間がこの状態において、自然から受けた多くの利益を失ったとしても、大きな利益を取りもどし、その能力は訓練されて発達し、その思想は広がりを加え、その感情は崇高になる。……人間が社会契約によって喪失するものは、その生来の自由と、彼の心を引き、手の届くものすべてに対する無制限の権利とである。これに対して人間の獲得するものは、社会的自由と、その占有する一切の所有権とである」(ルソー 2005b:230、Rousseau 1966:55)。
(6)【第四章:第四節】を参照のこと。
(7)【第十章:第二節】を参照のこと。
(8)バーリン(2000)。両者はしばしば「~からの自由」(freedom from)と「~への自由」(freedom to)とも呼ばれる。なお、E・フロム(E. Fromm)もまた、バーリンとほぼ同じ二つの自由概念について言及しているが、彼の場合は、全体主義の原因を自由がもたらす負担からの「逃走」に求めており、ここでは、われわれは自由を守るためにこそ、むしろ「積極的自由」を追求しなければならないということになる(フロム 1965)。
(9)実際には、「政治的自由」であっても、それが「現実を否定する理想」として語られる場合には、やはりいずれは矛盾に直面すると言えるかもしれない。例えば真の「政治的自由」のためには、政府であっても警察であっても存在すべきでない、といった言説がそうである。
(10)〈有限の生〉をめぐる五つの原則については【第十章:第五節】を、身体を捨てた「ユートピア」の問題については【第十章:第四節】を参照のこと。
(11)再掲となるが、カントは、このルソーの着想を引き継ぎ、それを「君の行為の格律が君の意志によって、あたかも普遍的自然法則となるかのように行為せよ」(カント 1976:86、Kant 2007:53)という一文に集約されるような道徳原理の次元にまで高めた。ここでの主張を要約すれば、皆が主観的な道徳原理に従いながらも、全員が常にその原理を普遍的に妥当なものになるよう努力すること、それによってわれわれは究極的には人間集団全体としても真に理性的で道徳的な世界に到達できる、ということになるだろう。
(12)【第八章:第二節】を参照のこと。
(13)【第八章:第四節】を参照のこと。
(14)【第二章:第二節】を参照のこと。
(15)『哲学中辞典』(2016)項目「疎外」を参照。
(16)まずヘーゲル(1997)は、人間精神のあり方を、自己意識がその一部を外化させ、それを対象化することを通じて再び自己意識が成立していくという、ある種の“運動”として理解した。このとき自らの一部を自らに対して疎遠なものとして外化することが、ヘーゲルにおける疎外の概念である。これに対してフォイエルバッハ(1965)は、疎外の主体を“類”としての人間と理解し、とりわけ宗教の成立を自己疎外の一形態として理解した。つまりキリスト教における神は、人間自身に内在する普遍的な意識が外化されたものでありながら、あたかも実体を持つかのように人間自身を拘束するものであるということである。これに対してマルクスの場合は、疎外を労働という人間の具体的な活動の文脈で用いている。『経済学・哲学草稿』(Ökonomisch-philosophischen Manuskripte, 1844)によれば、「疎外された労働」とは、第一に、労働によって生みだしたものが自身を離れて他人のものとなること、第二に、労働そのものが自らの欲求を満たす自発的なものではなく、強制されたものとなること、第三に、労働が人類特有の活動としてではなく、単なる生存のための手段となること、第四に、疎外された労働を通じて、人間相互の関係性が競争的なもの、対立したものとして現れることを指している(マルクス 1964)。
(17)富田(1981)や清水(1971)などを参照。
(18)例えば清水正徳は、具体的な「人間疎外」として「急速に進む生活の公私両面にわたる機械化、技術的合理化。住居・衣・食の規格化・平均化。テレビをはじめ情報化の手段の進歩による言語表現・行動形態の中性化・無性格化。特に大都会に住む人たちが、これらのダイナミックな変化の中にあって一人ひとりの人間らしい感受も静思も表現も忘れていくということ、一人ひとりの人間が相互に抱くはずの個別的な交流・信頼・愛憎といった有機的な関係性が鈍化され麻痺させていくこと」などについて言及し、「人間疎外論」の目的は、こうした現実のなかから「人間が目的ではなく手段とされていること」、「人間性・個性が失われていること」、「人間世界がどこにあるのかさっぱりわからないこと」を告発していくことにあるとしている(清水 1971:8-9)。なお、こうした「人間疎外」の概念があまりに拡張された結果、かつてはしばしば「意のままにならない生」はみな疎外であるかのような論調さえも見受けられた。例えば古在由重は、以下のように述べる。「最近、「疎外」という言葉がはやりましたけれども、その当時として自分自身もやはり、形は違っても、かえりみれば今日いわれる「疎外」とうい感じはすでにあった。要するに、自分の未来は、もうすでに他人によってきめられている。自分はこの軌道の上を一生涯走って行くようにつくりあげられている、と。やがて帝国大学の哲学科の先生にでもなって、型どおりの一生を終わってしまうように、すべては仕組まれているという感じでした。これにはとうてい我慢できなかった。もしそういうのを一種の疎外感といえるとしたら、やはりそういう自分の存在をも解放したいと思いました」(古在編 1969:11)。
(19)『哲学中辞典』(2016)項目「物象化」、および廣松(2001)を参照。
(20)【第二章:第三節】を参照のこと。
(21)「〈生活世界〉の空洞化」をめぐっては、【第五章:第四節、第六節】を参照のこと。
(22)【第十章:第一節】を参照のこと。
(23)【第十章:第三節】を参照のこと。
(24)詳しくは【第八章:第一節、第二節】、特に【第八章:注4、注8、注24】を参照のこと。したがって厳密に言えば、“資本主義”という呼称そのものが誤解を招く表現であるとも言える。なぜなら資本主義は、例えば社会主義や共産主義と対をなすような、特定の理想社会を想定したイデオロギーを指すのではなく、文中で述べたように、「史的唯物論」的に人類史を捉えた際に導出される、特定の「生産様式」を指す概念だからである。
(25)マルクス(1956)、エンゲルス(1966)を参照。
(26)もちろん、今日論じられる「資本主義」の概念からは、すでに「史的唯物論」に由来する残滓がほとんど取り除かれているように思えるかもしれない。しかしそうだするなら、そのことこそが、逆に今日の「資本主義」概念を分かりにくくさせている最大の原因であるとも言える。仮に「史的唯物論」を継承しないというのであれば、われわれは「資本主義」に対する自らの批判が、少なくとも以下の三つの論点のうち、いずれに軸足を置いたものなのかということについて自覚的になるべきだろう。その第一のものは「権力論としての資本主義批判」であり、その代表的な主張は、グローバル企業や富裕層を含む特定の人々が、世界経済を支配、コントロールしているといったものである。この場合、焦点となるのは社会的な事実性だろう。また、そこで想定される改革が既存の社会制度の枠内で実現可能なものであるなら、それはあくまで政治的/ジャーナリズム的次元における問題となる。またこの場合、制度の欠陥を指摘する以上に、民主的な選挙を通じて、なぜ一定数の人々がその改革を望んでいないのかということも重要である。次に、第二の論点となるのは「制度論としての資本主義批判」であり、その代表的な主張は、資本制社会のもとでは、とめどなく貧富の差が拡大し、社会の二極化が進行するといったものである。この場合、焦点となるのは制度論としての妥当性だろう。すなわち資本制社会の根本的な欠陥がどこにあるのかということのみならず、同時に、それに代わる新たな経済体制の具体的な枠組みが提示されなければならない。次に、第三の論点となるのは「存在論としての資本主義批判」であり、その代表的な主張は、資本制社会に生きる人々の関係性は、商品関係が投影されたものになる、といったものである。この場合、焦点となるのはその哲学/思想的な考察の妥当性ということになる。なお、本論が「疎外論」、「物象化論」と呼んできたものこそ、まさしくこの第三の論点に相当するものである。われわれがこうした議論を継承すると言うのであれば、われわれは、本文で指摘してきた「本来の人間」をめぐる問題を克服できなければならない。興味深いのは、かつての「史的唯物論」においては、この三つの論点が、ひとつの理論体系として見事なまでに統合されていたということである。そしてそれが一時代に多くの人々を動かす力を持ちえたのは、とりわけそこに、「生産の無政府状態」を克服するものとしての共産主義社会という、制度論としての明確なオルタナティブが提示されていたからではなかっただろうか。したがって「史的唯物論」に依拠することなく、それでも「資本主義」批判を展開するというのであれば、「史的唯物論」に代わって、この三つの論点を十全に結合させることができる論理が求められる。そして何より、その中核として、「資本主義」に代わる具体的な制度の枠組みとはいかなるものかが示されなくてはならないだろう。「資本主義」批判が根ざしているのは、本書が回避してきた社会変革論のアプローチである。したがってその主張は明確なオルタナティブがなければ完結しない。どれだけ既存の制度を批判しようとも、それに代わって人々が選択可能な方法が見いだせないというのであれば、議論は一歩も前に進むことはなく、いずれの批判もすべて空振りに終わることになるからである。
(27)『日本国語大辞典』(2007)項目「全体主義」。また『哲学・思想辞典』(1998)では、“全体主義”について「20世紀に現れた社会の全領域を一元的に支配・統制しようとする集権的な政治体制・運動の特徴を表す概念……最も広い意味では、個人的・私的生活領域の自律性を廃棄し画一的な統合をはかるような管理社会の状況に対して用いられる」とある。思想史的な意味での全体主義一般に関する問題については、【第八章:第二節】および【第九章:第四節】、加えてアレント(1972a、1972b 1974)も参照のこと。
(28)【第四章:第二節】を参照のこと。
(29)【第五章:第五節】を参照のこと。
(30)【第七章:第五節】、【第八章:第三節】を参照のこと。
(31)【第十章:第五節】を参照のこと。
(32)【第二章:第一節】、【第八章:第二節】、【第九章:第三節】を参照。
(33)『広辞苑』(2018)項目「自己実現」を参照。
(34)【第九章:第四節】を参照のこと。
(35)【第九章:第五節】を参照のこと。
(36)【第五章:第三節、第四節】を参照のこと。
(37)【第七章:第五節】を参照のこと。
(38)マズローは、自己実現を「人の自己充足への願望、すなわちその人が潜在的にもっているものを実現しようとする傾向……よりいっそう自分自身であろうとし、自分がなりうるべきすべてのものになろうとする願望」(マズロー 1987:72、Maslow 1970:46)と定義している。
(39)マズロー(1987:221-272)、Maslow(1970:149-180)を参照。
(40)とりわけ晩年のマズロー(1973)は、自己実現を達成した者の共通点として、仕事はあくまで手段に過ぎず、そこでは真、善、美、秩序、正義、完成といったものを含む、人間にとっての根源的な価値――「B価値」(B-values)と呼ばれる――の探求が中心的な目的となっていることを指摘している。
(41)【第五章:第一節】を参照のこと。
(42)ここでの記述については、トランスパーソナル心理学については、岡野(1990)、諸富(2009)、ウィルバー(1986)を、ホリスティック教育については、吉田(1999)、ミラー(1988)、日本ホリスティック教育協会/中川/金田(2003)を参考にした。また、同じく自己実現と訳されるものでも、厳密には“self-actualization”と“self-realization”の二語があることには注意してほしい。
(43)岡野守也は、トランスパーソナル心理学の定義として「近代的個人=自我の正当な面(科学・理性・批判性)は十分に受け継ぎつつ、古代の英知(宗教・霊性)を再発見し、近代の個人主義が陥るエゴイズムとニヒリズムという限界を超え、個人主義に代わる人生観-世界観-ライフスタイルを提案するもの」(岡野 1990:17)としている。またJ・P・ミラー(J. P. Miller)は、ホリスティック教育の定義として「〈かかわり〉に焦点を当てた教育である。すなわち、論理的思考と直観との〈かかわり〉、心と身体との〈かかわり〉、知のさまざまな分野の〈かかわり〉、個人とコミュニティとの〈かかわり〉、そして自我と〈自己〉との〈かかわり〉など。ホリスティック教育においては、学習者はこれらの〈かかわり〉を深く追求し、この〈かかわり〉に目覚めるとともに、その〈かかわり〉をより適切なものに変容していくために必要な力を得る」(ミラー 1988:8)としている。
(44)そうした問題意識に付随して、ここでは理性や合理性、分析といったものに加えて、しばしば感性や感情、直観的なアプローチが重視され、宗教的、霊的な経験についても肯定的に捉えられる。とりわけ仏教における禅の思想は、より大きな全体性や個体的自我の超越という主題と親和性が高く、繰り返し言及されている。
(45)逆に一連の枠組みからすれば、本書の人間観は自己超越が不十分であり、本質に到達していないというようにも映るだろう。また、ここで本書が行っている指摘についても、そうした論点はすでに十分考慮したうえでの主張である、ということになるかもしれない。例えば諸富祥彦(2009)は、こうした多くの矛盾に苦しみつつも、自らが一連の認識に到達した経緯について率直に述べている。また吉田敦彦(1999)は、ホリスティック教育に寄せられる批判として、①全体主義に傾倒する危険性、②主観主義・精神主義的傾向、③知性の軽視という問題傾向、④批判的精神の弱さ、⑤新たな自然科学信仰、⑥「パラダイム転換」への安住、⑦進歩史観/予定調和説、⑧人間性のロマン主義的楽観視をあげ、そのひとつひとつに対して真摯に回答することを試みている。
(46)【第九章:第七節】を参照のこと。
(47)【第十章:第六節】を参照のこと。
(48)【第八章:第五節】を参照のこと。
(49)とはいえ筆者は、「第三期」を中心とした世代が、なぜ「自己実現」に人間的な理想を見いだしたのか、あるいは彼らが「自己実現」という言葉に何を託したかったのかという点については、心情的に理解できる部分がある。筆者を含む「第四期」に人格形成を行った世代は、そうした理想を真に受けたがゆえに挫折を経験することになったが、それはかつて、「第二期」の人々が戦後的理想へと邁進して挫折していった過去、あるいは「革命」的理想へと邁進して挫折していった過去と重なる部分がある。われわれはそれに続く世代として、まさしく「存在論的な抑圧」からの解放という理想に邁進し、そして挫折したのである。とはいえこのサイクルは、われわれが〈無限の生〉の理想を追い求めている限り、これからも続くだろう。おそらく現代世代が若くして浴びせられている「現実を否定する理想」があるとするなら、10年後には、彼らもまたおそらく挫折を経験するからである。
(50)こうしたの用語の混乱の背景には、それぞれの用語がもともと異なる文脈において形成されてきたという経緯がある。例えば「ポストモダン」は、後述するリオタールのように、思想/言説群というよりも特定の時代状況を指している側面があり、「ポスト構造主義」は、C・レヴィ=ストロース(C. Lévi=Strauss)をはじめとした構造主義を批判的に継承するという、フランス思想史上の文脈に即したものである。また「ポストモダニズム」には、「ポスト構造主義」とは別に、もともと建築や芸術分野において、従来の機能主義に対抗するものとしての意味合いが含まれていた。『哲学・思想辞典』(1998)項目「ポストモダン」および「ポスト構造主義」を参照。
(51)【第九章】でも見てきたように、その先駆けとなったのは浅田彰(1982)である。また浅田の問題意識やスタイルを引き継いだ人々として、東浩紀(1998)や千葉雅弥(2013)などがいる。
(52)実際、本書では取りあげていないが、「ポストモダン論」で重要視されている思想家として、他にも「脱構築」(déconstruction)概念を提唱したJ・デリダ(J. Derrida)や、フロイトの精神分析を批判的に継承したJ・ラカン(J. Lacan)などがいる。
(53)「科学はみずからのステータスを正当化する言説を必要とし、その言説は哲学という名で呼ばれてきた。このメタ言説がはっきりとした仕方でなんらかの大きな物語――〈精神〉の弁証法、意味の解釈学、理性的人間あるいは労働者としての主体の解放、富の発展――に依拠しているとすれば、みずからの正当化のためにそうした物語に準拠する科学を、われわれは〈モダン〉と呼ぶことにする。・・・・・・〈ポスト・モダン〉とは、まずなによりも、こうしたメタ物語に対する不信感だと言えるだろう」(リオタール 1986:8-9、Lyotard 1979:7)。なお【第九章】で言及した「第二次マルクス主義」も含めて、戦後日本の人文科学には常に大きな存在としてマルクスがいた。その意味では「ポストモダン論」の諸々のアプローチは、マルクスとは一線を引きつつも、新たな形で社会批判を試みようとしていた側面があったと言える。したがって、ここで想定される「大きな物語」の代表例もまた、マルクス主義であったと言えるだろう。
(54)こうした理解については、東浩紀(2001)も参照のこと。
(55)フーコー(1975、1977)。「パノプティコン」とは、中央の監視塔と、それを取り巻くように円形に独房を配置した監獄の一形態である。ここで囚人たちは看守を見ることはできないが、常に看守に見られていることを意識する。そのため究極的には、看守自体がいなくても構わない。ここでフーコーは、直接身体に働きかけるかつての刑罰から、こうした一望監視の「パノプティコン」への移行を丹念に読み解くことによって、不可視化された近代の権力構造の特質を明らかにしようとしたと言えるだろう。【注66】も参照のこと。
(56)「幸福な時にも不幸な時にも人間が自分の像と向かい合う場所であった鏡は、現代的秩序から姿を消し、その代わりにショーウィンドウが出現した。そこでは・・・・・・大量の記号化されたモノを見つめるだけであり、見つめることによって彼は社会的地位などを意味する記号の秩序のなかへ吸いこまれてしまう。・・・・・・消費の主体は個人ではなくて、記号の秩序なのである」(ボードリヤール 1979:303-304、Baudrillard 1986:309-310、傍点はママ)。
(57)こうした高度情報化社会の存在論については、吉田健彦(2017、2018、2020)を参照。また東浩紀(2001)は、今日のサブカルチャーを研究するなかで、今日的な消費を介して現れるリアリティの特徴を指して「データベース消費」と呼んだ。 (58)ドゥルーズ/ガタリ(1986)。これに対してあらゆる意味や価値が超越的な地点から樹木のように体系づけられた状態を「超コード化」(surcodage)と呼ぶ。資本主義の成立は、「超コード化」された世界から「脱コード化」された世界への移行であり、そこでは近代的な主体が父、母、子という核家族の枠組みにおいて再生産される。
(58)ドゥルーズ/ガタリ(1986)。これに対してあらゆる意味や価値が超越的な地点から樹木のように体系づけられた状態を「超コード化」(surcodage)と呼ぶ。資本主義の成立は、「超コード化」された世界から「脱コード化」された世界への移行であり、そこでは近代的な主体が父、母、子という核家族の枠組みにおいて再生産される。
(59)「リゾーム」とは、植物の根茎をモデルとした“つながり”のあり方のことを指しており、明確な秩序や中心を持たない多方向に広がる無数の線、あるいは任意の一点がいかなる一点とも、非意味的、非主体的に結合されうる多様体のことを指している(ドゥルーズ/ガタリ 1994)。
(60)〈自立した個人〉の思想の定義一般については、【第二章:第一節】を参照のこと。
(61)【序論:第二節】を参照のこと。
(62)本書は「絶対的普遍主義」を否定するものの、「強度を備えた〈思想〉」に至るための限定的な意味での「普遍性」は肯定する。それは【序章】で述べたような、〈思想〉を言語理論として表現する過程で用いられる「普遍化」であり、時代が要請する必然性が体現されるという意味での「普遍性」、そしてここで述べた言葉や言説の強度という意味での「普遍性」である。【序論:注10、注11,注13】も参照のこと。
(63)【第六章:第二節】を参照のこと。
(64)【第七章:第五節】、【第八章:第六節】を参照のこと。
(65)【第十章:第五節】を参照のこと。
(66)前述した『トランスパーソナル心理学』の著者である岡野守也は、自身がフーコーの来日に合わせて禅の老師との面会を設定した際のエピソードについて書いている。岡野によれば、フーコーの依頼は、西洋近代の人間概念の限界を克服する手がかりとしての禅ではなく、禅の師弟関係を通じて現れる「東洋的な支配の技術」であったことから、岡野はひどく狼狽したらしい。権力構造や抑圧性を際限なく暴こうとするフーコーのアプローチは、「人間はどうあがいてみても、抑圧したりされたりする存在ではないかというところに追い込まれる」(岡野 1990:246)。岡野はここで「これではこの人はつぶれる。このままいったら思想的にも行き詰まって、死ぬしかない」(岡野 1990:246-247)と直観したというが、筆者もこの点にはまったく同意する。
(67)【第九章:第四節】を参照のこと。
(68)「要は、自ら「濁れる世」の只中をうろつき、危険に身をさらしつつ、しかも、批判的な姿勢を崩さぬことである。対象と深くかかわり全面的に没入すると同時に、対象を容赦なく突き放し切って捨てること。・・・・・・簡単に言ってしまえば、シラケつつノリ、ノリつつシラケること、これである」(浅田 1982:6)。「パラノ・カルチャーの崩壊の後には荒涼たる砂漠しか残らないとひとは言う。だけど、その砂漠こそスキゾ・キッズの絶好のプレイグラウンドなのだ。・・・・・・真のゲイ・ピープルを目指す諸君、今こそ新たなる逃走にむけて決起されんことを!」(浅田 1986:16、傍点はママ)。
(69)【第九章】で述べたように、「第四期」になると、「接続」の可能性は「第二次マルクス主義」の後継者たちによっても語られるようになった。彼らにとって、それは「アソシエーションネットワーク」であり、「新しい市民社会」であったが、この点においては、「ポストモダン論」もマルクス主義も共通する地平を持っていたと言えるかもしれない。「緩やかなつながり」や「開かれたコミュニティ」については、【第九章:注137】を参照のこと。
(70)千葉雅也の言葉を再掲しておこう。「私たちは、偶然的な情報の有限化を、意志的な選択(硬直化)と管理社会の双方から私たちを逃走させてくれる原理として「善用」するしかない。モダンでハードな主体性からも、ポストモダンでソフトな管理からも逃れる中間地帯、いや、中間痴態を肯定するのである。……文化的な非意味的接続の希望から出発し、その非意味的切断も必要であると但し書きを付すのがポストモダン論であった。逆に、非意味的切断の不可避さから出発し、非意味的接続を、部分的にしか可能ではないという前提のもとで試行錯誤することが、ポストポストモダンの課題である」(千葉 2013:37-38、傍点はママ)。【第九章:注177】も参照のこと。
(71)【第十章:第五節、第六節、第七節】を参照のこと。