ディスカッション


未来世界を哲学する―環境と資源・エネルギーの哲学)
未来世界を哲学する
環境と資源・エネルギーの哲学


〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

〈距離〉 【きょり】


 「要するに、ここで導入したい〈距離〉の概念とは、この「脱形式化」を行う“度合い”を表す概念に他ならない(36)。例えばわれわれが「距離が近い関係性」と言う場合、それは両者が単に〈間柄〉で完結した仲ではなく、より多くの局面において「〈我‐汝〉の構造」を介して向き合っていることを意味している。逆に「距離が遠い関係性」と言う場合、それは両者がより多くの局面において、「〈我‐汝〉の構造」を介さず、〈間柄〉に従って向き合っている、ということを意味しているのである。」 (上巻 220



 人々が「人間的〈関係性〉」を構築する際、通常は〈間柄〉「〈我‐汝〉の構造」の双方を媒介する形で対面することになるが、そのどちらに比重があるのかを示す尺度のこと。

 社会的に共有された振る舞いの型であるところの〈間柄〉は、〈関係性〉の「形式化」によって双方の「〈我‐汝〉の構造」がもたらすズレを緩和させ負担(「内的緊張」)を軽減させることができるが、「形式化」が強すぎると、「意味のある〈関係性〉」が成立しづらくなるとともに、望まない振る舞いを強制される、別の形での負担(「内的緊張」)が増大する。

 このとき人間は〈間柄〉の仮面から「私」の顔を覗かせることで〈関係性〉の「脱形式化」を試み、再び「〈我‐汝〉の構造」としても向き合おうとする。このバランスを取るのが〈関係性〉の原理としての〈距離〉のメカニズムである(もっとも相互が理解し、望んでいる「距離間」の間にはずれが生じる余地があり、これが新たな〈関係性〉の負担(「内的緊張」)をもたらすこともある)。

 〈社会的装置〉に依存する「〈ユーザー〉としての生」が拡大すると、「経済活動の倫理」に代表される、強力な「(〈間柄〉によって)塗りつぶされた〈関係性〉」が拡大する一方、「情報世界」で配置の機能を媒介として出会う人々や〈社会的装置〉の文脈を介さない人間同士は、〈間柄〉をほとんど介さない〈この私〉同士の直接的な対峙となり、〈距離〉を測れない極端な〈関係性〉(「0か1かの〈関係性〉」)が横行することになる。

 〈自立した個人〉の思想と深く結びつく「ゼロ属性の倫理」は、〈間柄〉を、「かけがえのないこの私」を拘束する悪しき抑圧とみなすため、この状況に拍車をかけることになる。