ディスカッション



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「〈我‐汝〉の構造」 【われなんじのこうぞう】


 「本書では、一連の自己と他者との相互作用のことを、「〈我‐汝〉の構造」と呼ぶことにしたい。この「〈我‐汝〉の構造」は、自己=〈我〉と他者=〈汝〉が織りなす「意味のある〈関係性〉」のことを表し、これからわれわれが「人間的〈関係性〉」を考察していく際の出発点となるだろう。」 (上巻 209



 差異性や異質性を含んだ「意のままにならない存在」として語りかけてくる〈他者存在〉に対して、人格的主体としての私が、応答を通じて「意味のある〈関係性〉」を成立させていく構造のこと。

 この「〈我‐汝〉の構造」は、主体が〈他者存在〉と取り結ぶ〈関係性〉の数だけ存在し、それぞれの「〈我‐汝〉の構造」の数だけ異なる「私」もまた存在しうる(そのため〈自己存在〉とは、無数の「〈我‐汝〉の構造」を通じて無数の「私」として現れたものをあくまで漠然と捉えたものだと言える)。

 また、〈関係性〉が現存する顔見知り(「中核的他者」)の場合、「私」が特定の〈他者存在〉との間に「〈我‐汝〉の構造」を持つように、相手もまた「私」に対して「〈我‐汝〉の構造」を持つことになる。このとき互いが理解し、望んでいる〈関係性〉にずれが存在すると、〈関係性〉に調整が必要となり心理的な負担が増大する(「実像‐写像」の「内的緊張」)。

 社会的に共有された振る舞いの型であるところの〈間柄〉は、〈関係性〉の「形式化」によってこの種の「内的緊張」を緩和させるが、「形式化」が強すぎると、「意味のある〈関係性〉」が成立しづらくなる。このため人間は〈距離〉を用いて〈関係性〉の「脱形式化」を試み、ときに〈間柄〉の仮面から「私」の顔を覗かせることで、再び「〈我‐汝〉の構造」としても向き合おうとする。

 〈社会的装置〉に依存する「〈ユーザー〉としての生」が拡大すると、こうした〈間柄〉や〈距離〉のバランスが崩れ(「0か1かの〈関係性〉」)、「〈我‐汝〉の構造」として向き合う余地がほとんどない「(〈間柄〉によって)塗りつぶされた〈関係性〉」や、〈間柄〉をほとんど介さない極端な〈この私〉同士の対峙を要求されるようになり、「底なしの配慮」「存在を賭けた潰し合い」といった、歪んだ〈関係性〉に直面することになる。