用語解説
「熱鉄の寓話」 【ねってつのぐうわ】
- 「要するに、現実の外部にあったはずの理念が、ある面では実現してしまうのである。こうして彼らは、いつの日か本当に、自らがその約束の地へとたどり着けるような気がしてくる。しかしそのことによって、かえって彼らは苦しめられるのである。夢が叶った「若者」は、今度は微生物を犠牲にすることに耐えられなくなる。機械の右腕を手に入れた「先生」は、今度は左腕が、あるいは脚が、熱鉄を受けつけないことに耐えられなくなるからである。」 (下巻 123)
「現実を否定する理想」であるところの〈無限の生〉の「世界観=人間観」が人間的な〈生〉の現実との間で「無間地獄」に陥る様子(〈無限の生〉の敗北)を寓話として表現したもので、ここでは熱した鉄を生身の手で掴むという、そもそも現実離れした理想に対して、「諦めなければ、どのようなことであってもいつかは実現する」、「身近なところからはじめて、少しずつ変えていけばいい」といった一般論で語る「先生」の滑稽さが喜劇として描かれる。
とはいえ、例えば科学技術が進展してサイボーグ化があたり前の時代になると、これは冗談ではすまされなくなる。
機械の右腕を手に入れることで、今度は左腕が、あるいは脚が、熱鉄を受けつけないことに耐えられなくなるというのは、われわれが科学技術や〈社会的装置〉を媒介として、「存在論的自由」、あるいは〈生の自己完結化〉や〈生の脱身体化〉をある面では実現してしまえること、しかしそれが実現することによって、かえってわれわれは決して消えることのない「意のままにならない他者」や「意のままにならない身体」の存在に苦しめられるということを表している。