SNSで迷子の人も、スマホから離れられない人も、メタバースに移住した私も。全員まとめて「現在進行形の人類」です。そのドタバタを肯定し、前に進むための視点をくれる本です。 ――バーチャル美少女ねむ

新技術に「快」「不快」を感じるあなたが読むべき本です。 ――山田胡瓜


表紙(帯付き) 裏表紙(帯付き)

こんにちは。ここは久木田水生著『麦とTwitter――情報技術がもたらすコミュニケーションの変容』(共立出版、2026年3月11日)の著者による紹介ページです。出版社による紹介ページはこちらです。

インターネット、ウェブ、ソーシャルメディア、人工知能、VR、アバター、メタバース、ソーシャルロボットなどの情報技術が人間、社会とどのように相互作用するかについて、これまで自分が考えてきたことを目いっぱい盛り込みました。

執筆を始めたのは2019年頃で、当初は1年くらいで書き上げるつもりだったのが、結局6年ほどかかってしまいました。その間にも、新型コロナウイルスの流行とそれにともなう遠隔会議システムの普及、メタバースのブーム、TwitterからXへの名前変更、生成AIの飛躍的な発展など、情報技術の発展とそれをめぐる社会の状況の変化は目まぐるしく、それらについての情報を消化し、どのように本書に組み込むか、あるいは組み込まないかを考えるのは悩ましい作業でした。

そういったわけで全体のボリュームも思っていたよりだいぶ嵩んでしまい、値段も4950円(税込)と少々張りますが、本文で35万字以上、文献リストも入れると40万字以上あって内容も充実しているので、決して割高ではないです!

光栄なことに山田胡瓜先生とバーチャル美少女ねむ先生から上掲の素晴らしいのコメントをいただくことができました(帯に掲載してます)。山田先生のコメントにあるように、新しい技術のニュースを聞いて「なんか嫌だ!」と不安・不快に思ってしまう人にも、「ワオ! こんな素晴らしい技術ができたなんて!」とテンションが上がってしまう人にも、一度立ち止まってじっくり考える材料を提供できると思います。

また、ねむ先生のコメントにあるように、新しい技術をめぐる喧噪に否応なく巻き込まれているすべての人たちに、人類史の大きな観点から「まあそれが人間ってやつだよ、なんとかやっていこう」という若干の諦観交じりの前向きさを提示しています。ただしこの前向きさは現状をそのまま肯定して受け入れるということではなく、私たちはテクノロジーと人間と社会をより深く理解することで、テクノロジーの良い部分をより促進し、テクノロジーの悪い部分をより抑制することができるだろう、という意味での前向きさです。

ちなみに裏表紙にはいらすとやで有名なみふねたかし先生の「楽しいインターネットのイラスト」を使わせていただいています。「いらすとや」は自由に使えるたくさんのイラストを公開しているウェブサイトで、この作品には「みんな仲良く平和にインターネットを使っているイラストです」というキャプションが付けられています。本書は情報技術の引き起こす様々な問題を論じていますが、ポジティブな側面にも焦点を当てており、特に良質な情報やコンテンツが自由に共有されるインターネットの長所については一章を割いて論じています。その姿勢を表すためにこのイラストを選びました。

概要

情報技術はコミュニケーションを媒介するものであり、新しい情報技術が発展、普及すると人々のコミュニケーションの仕方も変わります。そしてそのことは人と人との関係、あるいは人々の他者についての認識を変化させます。本書はインターネット、ソーシャルメディア、人工知能、アバターなどの情報技術がコミュニケーションに、人と人との間に構築される関係に、ひいては社会にどのような影響を与えているか、あるいは将来与える可能性があるかを論じたものです。

そういった影響は一つの観点からは望ましく見え、別の観点からは嘆かわしいものに見えるでしょう。本書はテクノロジーの影響を単純に「良い」あるいは「悪い」と評価することを避けて、できるだけ多様な観点から、テクノロジーによって引き起こされる変容の功罪を見るように努めています。

一方で本書は「どんな技術も良い面と悪い面がある」、「結局は使う人間次第なのだ」という素朴な中立論も採っていません。どんな状況でどんな人々にどんな影響を与えるかということは個々の技術によって異なっています。またトータルで見て有害な影響が有益な影響よりも勝る技術もあります。ヘロインなどの強い麻薬を作る技術はその典型例と言えるでしょう。

そういった技術は人間の心理や生理の脆弱性を突いて、有害な影響を与えながらも使われ続けます。本書ではそのようなテクノロジーを「寄生的」テクノロジーと呼びます。人間と「共生」するテクノロジーもあれば、人間に「寄生」するテクノロジーもある、というのが本書のスタンスです。寄生的テクノロジーの有害性、危害をもたらす機序、それらに対する人間や社会の脆弱性を正しく認識して、その危害をいかに軽減させるかというのが私たちの課題だと思っています。

タイトルについて

「麦」は農耕というテクノロジーを象徴するものとして、「Twitter」は情報技術を象徴するものとして選びました[1]。農耕も情報技術もどちらも人間や社会を大きく変化させた(変化させつつある)テクノロジーです。その影響は生活様式や社会構造、価値観や選好や考え方、他者や世界についての認識に及び、ひょとしたら遺伝子プール(集団の中の遺伝子の総体)の構成にまで及んでいる可能性があります。

そしてその影響は人類にとって良いものばかりとは限りません。例えば農耕の始まりによって多くの人はより長時間の過酷な労働を強いられることになりました。食物の種類が限られ栄養状態は一時的に悪化しました。一部の支配階級と多くの被支配階級という身分の差が生じました。家畜化された動物から様々な感染症が人間社会にもたらされました。農耕を始めたばかりの頃の人類の生活条件は、トータルとしてそれ以前の狩猟採集民の生活条件よりも悪化したと考える人々もいます。歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリによれば、農業革命は「史上最大の詐欺」[2]だということです。

その一方で農作物は、人間のおかげで野生よりも良い条件で育つことができるようになりました。政治学者ジェイムズ・C・スコットは、ここには人間と作物のどちらが主人なのかという「形而上学的な問題」[3]があると問いかけ、ハラリは「私たちが小麦を栽培化したのではなく、小麦が私たちを家畜化したのだ」[4]と言います。

とはいえもちろん現代に生きる私たちが農耕開始以前の人類よりも物質的に豊かで安全な生活を享受できていること、その基礎には農耕があることは確かです。しかしだからといってそのことが農耕が始まった頃の人々の苦しみを補償するわけではありません。これは現在、情報技術の進歩に混乱させられている私たちにも言えることです。

科学技術について楽観的な人々は、しばしば科学技術の発展が歴史的に人類全体の生活を向上させてきたことを強調します。そして一時的あるいは局所的なマイナスはあるかもしれないけど、それは無視できるもの、進歩のために必要な犠牲である、というような調子で論じます。しかしそのような一時的かつ局所的なマイナスが必然的なものと考える根拠もないでしょう。そういったマイナスを極力減らしながら科学技術を進歩させる道を探ることが、これからの社会が採るべき道だと私は思うわけです。「情報革命は史上二番目の詐欺」と後世の歴史学者に言われないようにしたい。というようなことを考えてこのタイトルを付けました。

書いてる途中でTwitterが「X」に名前を変更しましたが、『麦とX』では何についての本なのか分かりにくいし、『麦とX(旧Twitter)』あるいは『麦とTwitter(現X)』では余りにも不格好なので、結局『麦とTwitter』にしました。「首都大学東京」が「東京都立大学」に戻ったようにそのうちまた「Twitter」という名前が戻ってくるのではないかという期待も込めて、本書の中でも基本的に「X」ではなく「Twitter」という呼称を使っています。

想定している読者

読みやすさにはかなり気を配ったので、読書好きの高校生、かなり本を読みなれた中学生なら読み通せると思います。また多くの人が情報技術との付き合い方を自分自身で考える際に役に立つものになることを目指して、抽象的な議論に終始するのではなく、一つの見解を押し付けるのでもなく、具体的な事例・事実を取り上げながら多様な視点や価値観を提示するように心がけました。子供から大人まで、情報技術とうまく付き合いたい人、できるだけ付き合いたくない人、身近な人がスマホを使いすぎ/使えなさすぎで心配している人、ツールやシステムを開発・推進したい人、情報技術に関する制度や規範を考えたい人にとって、押さえておくべき基本的な事実、知っていると有益な情報や観点が得られる本になっていると思います。

各章が割と独立しているので興味のあるところだけ拾い読みしてもらっても大丈夫です。各章の内容とお勧めしたい人は以下のとおりです。


脚注

[1] 後になって気付いたけどこのタイトル、『〈生物〉と〈人工物〉』という形式が、技術哲学の古典であるラングドン・ウィナーの『鯨と原子炉』(吉岡斉、若松征男訳、紀伊国屋書店、2000年)と共通していますね。ただウィナーの鯨は自然を象徴する存在としてテクノロジーと対比させられているのに対して、本書における麦はテクノロジーを象徴するものであるという点が違いますが。

[2] ユヴァル・ノア・ハラリ、『サピエンス全史――文明の構造と人類の幸福』(上)、柴田裕之訳、河出書房新社、2016年、p. 107。

[3] ジェームズ・C・スコット、『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』、立木勝訳、みすず書房、2019年、p. 17。

[4] ハラリ、上掲書、p. 17。