ディスカッション


未来世界を哲学する―環境と資源・エネルギーの哲学)
未来世界を哲学する
環境と資源・エネルギーの哲学


〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

〈芸術〉 【げいじゅつ】


 「というのも了解を希求する人間の原点に立ち返れば、そもそも哲学も宗教も、あるいは芸術さえも、いずれも何らかの〈思想〉を表現したものであるとは言えないだろうか。そして芸術が、必ずしも言語を用いない〈思想〉の表現であるとするなら、〈哲学〉とは、逆に徹底的に言語を駆使したもの、とりわけ言語的に構造化された理論を駆使して〈思想〉を表現したものであると言えるからである。」 (下巻 7



 〈思想〉の表現として理解された芸術のことで、潜在的に、それぞれの時代、それぞれの境遇を生きたひとりひとりの人間にとっての〈世界了解〉をめぐるさまざまな側面(例えば〈世界了解〉成し遂げていく人間的な強さ、〈世界了解〉を果たしえない人間的な苦しみ、あるいは「美しく生きたい」というその人自身の願いなど)が表現されたもの。

 芸術に対するこうした理解は、特定の対象を、何らかの普遍的価値を体現した作品と見なして鑑賞していく「鑑賞としての美」とは異なり、人が創り上げた何ものか(あるいは人の手を渡って伝えられてきた何ものか)から、そこに表現された「生き方とあり方」を自らの「美意識」によって感受していく「生き方としての美」に関わるものである。

 本書の理解では、〈思想〉とは、「意のままにならない生」を生きる人間存在が自らの現実と格闘し、〈世界了解〉を成し遂げていくための言葉や意味がひとつの体系をなしたものである。

 その意味においては、宗教も、〈哲学〉も〈芸術〉も、ある種の〈思想〉の表現として理解される。例えば芸術が、必ずしも言語を用いない〈思想〉の表現であるとするなら、〈哲学〉とは、逆に徹底的に言語を駆使したもの、とりわけ言語的に構造化された理論を駆使して〈思想〉を表現したものであると言えるだろう。