ディスカッション


未来世界を哲学する―環境と資源・エネルギーの哲学)
未来世界を哲学する
環境と資源・エネルギーの哲学


〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

用語解説

   

「必然的異常社会」 【ひつぜんてきいじょうしゃかい】


 「吉田健彦は、現代社会を「必然的異常社会」と呼んだが、このことはわれわれの議論においても示唆に富むものだと言えるだろう。すなわち〈自己完結社会〉の成立は、一方ではわれわれの根源的な本性とも深く結びつくという意味において、確かにある種の「必然性」を伴っているということ、しかし他方で、それがかつてないほどの人間の存在様式の変容を伴うという意味においては、そこにはやはりある種の「異常」な事態が生じているとも言えるからである。」 (下巻 154



 メディア論/環境哲学の研究者である吉田健彦の概念で、科学技術がもたらす現代社会の病理的側面を、単なる疎外状態として理解するのではなく、その存在様式が長期にわたって変容していく出発点に、そもそもそうした病理をもたらすある種の必然性が含まれていたと考える視点のこと。
 

 「メディア技術は自律的に拡大を続け、それにともないコミュニケーションの範囲は広がるように見える。けれどもその実、他者からは畏怖が失われ、剥奪されるリソースとなる。それは私自身から存在論的根拠を失わせ、最後には空疎で平坦な無限のデータのみが渦を巻く無人のメディア世界が残される。……私たちが生きているこの時代の持つ病理の多くが、このようにして生じていることは確かであろう。だが、これは人間存在の原初点に刻まれた二重らせんの構造の必然として現れたのであり、いずれかの時点で選択を変えていれば避け得たものではない。したがってこれは必然的に異常な社会なのだ。」 (吉田健彦(2021)『メディオーム――ポストヒューマンのメディア論』共和国、pp.28-29