【本文】



〈自己完結社会〉の成立(上)
上柿崇英著


〈自己完結社会〉の成立(下)
上柿崇英著

環境哲学と人間学の架橋(上柿崇英 
/尾関周二編)
環境哲学と人間学の架橋
上柿崇英/尾関周二編


研究会誌『現代人間学・
人間存在論研究』

   

『〈自己完結社会〉の成立』
【序論】――本書の構成と主要概念について


(5)本書の底本と表記(文体)について


 さて、以上を通じてわれわれは本書の全体像について一通り概観してきたことになる。ここでは最後に、本書の底本と表記(文体)に関する補足を行っておくことにしたい。

 まず本書は、筆者を含む大阪府立大学「環境哲学・人間学研究所」の研究グループによる共同研究の成果であると言える(20)。筆者らは、2015年からこの研究所を拠点に本格的な共同研究を開始し、2016年からはその成果を『現代人間学・人間存在論研究』として刊行してきた。本書を構成している原稿は、いずれも「表1」のように、同誌に発表されてきたものを底本としている (21)

  •  【第一号】(2016)「現代人間学への社会的、時代的要請とその本質的課題――「理念なき時代」における〈人間〉の再定義をめぐって」
    (→ 本書【第一章】、【第二章】収録)
  • 【第二号】(2017)「“人間”の存在論的基盤としての〈環境〉の構造と〈生〉の三契機――環境哲学と〈生〉の分析からのアプローチ」
    (→ 本書【第三章】、【第四章】、【第五章】、【第六章】収録)
  • 【第三号】(2018)「人間的〈関係性〉の構造と〈共同〉の成立条件――「ゼロ属性の倫理」と「不介入の倫理」をめぐって」
    (→ 本書【第七章】、【第八章】収録)
  • 【第四号】(2020)「〈生活世界〉の構造転換と〈自己完結社会〉の未来――〈無限の生〉と〈有限の生〉をめぐる人間学的考察」
    (→ 本書【序論】、【第九章】、【第十章】、【結論】、【補論一】収録)

表1 本書の底本と該当章


 なお、ここでは本書を読み進めていくうえでの注意点として、本書の表記ルールについても説明しておこう。
 例えば文中で【 】で示されたものは、【第一章:第三節】、【第六章:注20】といったように、本書全体の特定箇所を示す場合に使用されているものである。また、〈 〉で示されたものは、本書における“中核概念”、すなわち本書の理論的枠組みを理解するうえで中心的な役割を果たす概念のことを指しており、そこにはしばしば通常とは異なる独自の意味合いが込められている。
 さらに「 」で示されたものは、主として①他の文献などからの引用文、②引用に由来する特殊な用語/用法、③中核概念ほど重要ではない特殊な用語/用法に使用されている。
 これに対して“ ”は、特定の文脈上で読者に留意しながら読んでほしい強調の一種であり、必ずしも特殊な含意を持つものではないので注意してもらいたい。

 多くの読者にとって、本書の文章は、決して分かりやすいものではないかもしれない。そしてその原因は、本書が高度に抽象的な議論を行っているからだけでなく、おそらく本書が“文体”を意識して書かれたものであることにも一因がある。つまり単に理論的/論理的な説得力を目指したものではなく、言葉そのものが持つ表現の部分を意識して書かれたものであるということである。
 とはいえ本書の【はじめに】や【序章】において、わずかでも何か響くものを感じ取ってもらえた読者には、ぜひ本書を一度最後まで読み切ってほしい。〈思想〉の書物においては、最も重要な主題や着想は異なる形で繰り返し取りあげられることになる。途中で理解できない一文があったとしても、読み進めるうちにイメージが共有されていき、文体のうちに込めた世界観や人間観が、突如として身近に感じられるときが来るかもしれないからである。


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(20)ここでの研究グループとは、具体的には大阪府立大学「環境哲学・人間学研究所」、「現代人間学・人間存在論研究部会」(https://gendainingengaku.org/)を構成している筆者、増田敬祐、吉田健彦の三名のことを指している。筆者と両氏との関係については、【おわりに】を参照してほしい。
(21)ただし一連の成果を本書にまとめるにあたって、大幅な加筆修正をおこなった箇所もあれば、修正すべき論点でありながら、筆者自身の思考の軌跡を残すという意味において敢えて修正しなかった箇所もある。例えば【第一章】の「成長しない世界」についての言及は、当初はそれなりに意味を持つものだったのだが、執筆を進めるにしたがって後退していった論点のひとつである。【第十章】で見ていくように、筆者はある面において、われわれが〈自己完結社会〉の成立を止めることを望んでいないのではないかと感じている部分がある。われわれが〈自己完結社会〉を望んでいる限り、その先に残されているのは〈社会的装置〉との“共生”という道であって、そのためには、おそらく当面の間は経済成長の持続が不可欠となるように思えるからである。